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江波 杏子(えなみ きょうこ、本名・野平 香純〈のひら かすみ〉、1942年10月15日 - 2018年10月27日)は、日本の女優。ウィキペディア引用




江波杏子 ヌード画像 (1)


江波杏子の略歴


曾祖父は、最後に沖田総司を匿った植木職人の柴田平五郎。母・江波和子は戦前に東宝で活躍した映画女優。子供の頃はシャイで自意識が強く、本ばかり読んでいた子だったという。

小学生の頃にキャロル・リード監督の『落ちた偶像』を観たのがきっかけで、本人曰く「現実逃避的に」女優になろうと思ったことや、また幼い頃に亡くなった母の仕事を継ぎたい一心で中学生の頃から女優を志し、1959年に大映に入社。ニューフェイスのオーディション時、まだ16歳の宝仙学園高等学校在学中の高校生だった彼女は年齢を1歳上に偽り、母親が女優だったことは言わなかった。

1960年、映画『明日から大人だ』でデビュー。芸名は、母親の芸名と室生犀星の新聞連載小説『杏っ子』に由来している。

(1971年の『新女賭博師・壺ぐれ肌』まで、全17本が制作された)。移動に利用していた東海道新幹線の車内の中で、本物のヤクザに「姐さん、きょう賭場が開いてます」と言われたほどの当たり役となった。だが脚本家・中島丈博の証言によれば、江波自身は女賭博師の役柄を嫌っていたという。雑誌の対談をきっかけにザ・テンプターズの萩原健一と交際したが、これは江波の方から恋愛関係に発展させたものだった。

大映倒産後の1973年、『津軽じょんがら節』に主演してキネマ旬報主演女優賞を獲得。

グラマーな体型だったことから、写真家達の人気の的となり1960年代から1970年代以後もヌードも披露し、グラビアでも活躍した。読書が趣味で、新聞を読むのが一番の楽しみ。特に、寝る前には必ず文字を見なければ寝られないというほどだった。 かなりの酒豪でブランデーを一晩で一本空けたことがある。

2018年10月26日に体調不良を訴え、東京都内の病院に入院。翌27日21時06分、肺気腫の急性増悪のため、同所で死去。76歳だった。急逝5日前の10月22日までNHK FMのラジオドラマ収録に元気に臨んで録り終えていた矢先の訃報であった。生涯独身
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