キューティー鈴木 ヌード・AVセックス画像 01
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キューティー鈴木(キューティーすずき、本名:原嶋 由美 - はらしま ゆみ、旧姓:鈴木、1969年10月22日 - )は、日本の元女子プロレスラー、タレント・女優。埼玉県出身、川口市立十二月田小学校、川口市立十二月田中学校卒業、川口市立川口女子高等学校中退。

略歴
ジャパン女子プロレス時代
1986年、四天王と言われたジャッキー佐藤、ナンシー久美、風間ルミ、神取忍以外は全員新人という状況でジャパン女子プロレスが発足する。ここでキューティーは山本小鉄、グラン浜田の教えを受ける。FMWを旗揚げする前の大仁田厚も指導に当たるが、選手たちは大仁田に対して快く思っておらず、キューティー本人も後年のインタビューではっきりと「大嫌いでした!」と答えている。

リングネームの名付け親は秋元康で、アップル鈴木、キウイ鈴木という候補もあったが、キューティーというリングネームも含めて、本人には不満だった。

キューティーは勝手にスポ根ドラマのような、女同士の美しい友情に支えられた世界を想像していたが、現実のあまりの違いに衝撃を受けたという。練習のきつさと、気の強いレスラー同士の人間関係に耐えかねて一度だけ母親に「もう辞めたい。」等の電話をしている。次第にできるグループとできないグループに分かれ、キューティーは後者に組み込まれ、ずっと受け身の練習ばかりさせられる。8月の旗揚げ戦に向けて、できる方を中心に練習が組まれるようになり、キューティーは食事つくりとか裏方の仕事を任されるようになり、このままデビューできずに終わるのではと、気持ちの焦りを感じ始める。

1986年8月17日、ジャパン女子が後楽園ホールで旗上げするが、キューティーはデビューはできず場内整理係をする。

1986年9月19日、徳島市立体育館で、対プラム麻里子戦でデビュー、フォール負け。

ジャパン女子はあまり客が入らず、半年くらいの間は給料が出ないことや試合も月に一度、後楽園ホールのみという状況になったためプラム麻里子と飲み屋でアルバイトをしていたこともあったという。地方へ行くと客の数より選手の数の方が多かったこともあったくらいで、売店に立ちグッズを売らないと、泊るところも食事代もないという状況も経験する。

プラム麻里子とはファイティング・ドールズというタッグチームを結成するが、さしたる結果も残せず自然消滅した。

尾崎魔弓との抗争が次第に白熱して、いじめる尾崎と耐えるキューティーの構図が観客に受け、スポーツ紙や芸能メディアにも取り上げられるようになり、メインよりも大きく扱われることがでてきた。当時はライバル扱いされた二人だが、尾崎の方はキューティーは弱いのでライバルじゃないと相手にしてなかったという。

ジャパン女子は大手の芸能事務所と提携しており、全国的な人気のある選手を育てなければ団体もやっていけないということで、最初は風間ルミとエデン馬渕を芸能関係へ売り出そうとしていたが、エデンが早々と引退してしまったのでキューティーを売り出すことになった。

1989年、『週刊ヤングジャンプ(7月20日号)』(集英社)の表紙を単独で飾り、その週に発売された各プロレス専門誌で「女子プロレスラーがメジャーな全国誌の表紙への登場をはたした記念すべき日」と書き立てられた。歌手としてもデビュー、リング上で歌を披露、ラジオのレギュラーが決まったり写真集が出てドラマの出演も決まり、イメージビデオもヒットして人気が一気に爆発する。しかし本人は練習する時間が減って体の動きが悪くなるのと、道場へ行くと周囲から孤立したような違和感を感じてしまい、タレント活動がいやでしょうがなかったし、アイドルレスラーと呼ばれることも苦痛だったと後に語っている。労働省の『ほっとweek』という有給休暇の取得推薦のポスターにも起用されるが、キューティー本人は「年365日中364日は働いてた。睡眠時間も3〜4時間くらい。試合がオフの時は芸能の仕事をして巡業先まで仕事が入ってる。」といった皮肉なものであった。「名前が売れれば売れるほど周りが離れていく」「試合ギリギリに会場に入って、試合が終わったらすぐ次の(芸能の)仕事に行く」という中で、嫉妬から来る対戦中のえげつない攻撃を幾度も受けたという。また『週刊ゴング』(日本スポーツ出版社)では雑誌が売れるとの理由から毎週のように取り上げられていたが、風間ルミは、なぜキューティーばかり載せるのかと苦言を呈したという。しかし、この頃の本人の気持ちは、他の選手は休めるのに自分は休めないなどで、辞めたいという思いは相変わらずであった。

1989年1月5日、後楽園ホールにてバトルロイヤルで優勝、100万円を獲得。

1990年、ジャパン女子プロレスMVPを受賞する。

『週刊現代(1990年2月3日号)』(講談社)の表紙になる。

1990年12月26日、浜松アリーナにおける新日本プロレスの試合のテレビ中継の解説席にゲストとして招かれる。

1991年10月10日後楽園ホールでザ・スコルピオンとマスカラ・コントラ・カベジェラ(一方はマスク、もう一方は髪の毛を賭ける試合形式)を行う。これは8月30日のタイトルをかけた試合で敗北した時、自ら髪の毛をかけての再戦を直訴したもので、会場は人気アイドルレスラーが丸坊主にされるところを見たさの観客で超満員となる。場内にはヘアーサロンの人間が待機しているとのアナウンスも流れたが、エビ固めで勝利し、レスラーキャリア5年目にして初のシングルベルトを腰に巻き、涙を流した。

しかしキューティー個人の人気をもってしても団体の経営状況は改善せず、1992年1月26日、熊谷大会を持ってジャパン女子は解散、試合後仲間たちと抱き合い泣き崩れる。本人は、いったんはプロレスを辞めることを決意、そのまま芸能人になるつもりもなかったが、事務所に所属選手全員が呼ばれた時に風間ルミが立ち上げるLLPWにいく選手と、残留する選手の二つに分かれ、尾崎に促されるまま後者のJWP女子プロレスを旗上げする組に参加することになる。もう夢もかなえたしプロレスへの熱もさめて、今から高校卒業の資格をとるなり、専門学校に行くなりして別の仕事に就こうかと思っていたが、残った選手の盛り上がり方がすごくて、自分だけ抜けますと言い出せなかったという。のちに風間に誘われなかったのはショックだったとも語っている。

JWP女子プロレス時代
1992年4月3日、JWP女子プロレスが所属選手が8人のみで旗上げ。選手数の少なさを1日で2試合もこなすなどしてカバーする。後楽園ホールでの旗揚げ戦では、宿敵の尾崎魔弓と新人時代以来4年9ヶ月ぶりにタッグを組み、関西、福岡晶組から勝利を奪う。新団体では本人の中で、はっきりと自覚が芽生え、「それまでは自分の仕事だけをすればいいという考えでしたが、この団体は私が引っ張っていかなければという意識を持つようになりました」と語っている。4月11日、後楽園ホールで空手家の桑原三佳(誠心会館)と生涯唯一の異種格闘技戦で腕挫十字固で余裕の勝利。この頃には横浜のスーパータイガージムを訪れて、佐山聡の指導も受けている。

1993年には女子プロレス界に対抗戦ブームがおこり、キューティーは最初のうちはあまり興味を示さなかったが、井上貴子との試合にライバル心を燃やす。この二人の対決はアイドル対決と言われた。全女との試合では「同じプロレスなのに組み方や間のとり方が全然違う。」という違和感をむしろ楽しんだという。11月、元クラッシュギャルズの長与千種の復帰戦でタッグパートナーを務め、翌1994年3月13日には、シングルで初対戦するが、48秒で敗北。4月10日、後楽園ホールにてコマーシャルで人気者になったレジー・ベネットとタッグを結成、以後たびたび二人はタッグを組むことになる。

1994年11月20日の東京ドームで行われた『憧夢超女大戦』では井上貴子と越境タッグを組み工藤めぐみ、福岡晶組と対戦、26、27日には尾崎と共にアメリカ、バージニア州でのWCWの試合に遠征、ブル中野、北斗晶組と2連戦をする。北斗とは初対戦であった。

1995年5月14〜16日、JWPの中国遠征で北京市と天津市で、6月3〜5日の韓国遠征で釜山市、光州市で試合をする。

この時期、「私の新人指導は厳しいですよ。優しいだけでは結局、彼女たちのためにならないから徹底的にしごいてやります。」と厳しい指導者的な役割も受け持つようになる。この頃からしきりにインタビューで「デビル雅美、関西にシングルで勝ちたい。」と二人を意識した発言をするようになる。

1995年6月16日両国国技館での対ボリショイ・キッド戦で、生涯で一度のマスク着用で試合を行う。純白のタイガーマスクに似たデザインであった。12月24日には、後楽園ホールでのデビュー10周年記念試合を行う。

JWPは当時、大塚製薬がスポンサーだったので、リング上でオロナミンCドリンクやジャワティーを一気飲みして宣伝に努めた。

次第に引退を考え始めるが、1997年8月、盟友、プラム麻里子がリング上のアクシデントで亡くなるという事故が起き、もう少し会社のために頑張らなくてはいけないと思いとどまる。事故後、「彼女がやり残した分までプロレスをやっていきます。いつもどこかにいると思うからプラムに怒られないように頑張っていきたい。」とのコメントを残した。

1998年10月15日、引退を正式表明、12月27日、20代の元気なうちに引退したかったという本人の希望どおり、29歳で後楽園ホールにて現役生活を終える。引退試合は関西とのシングルマッチの予定だったが関西がけがで欠場、8人タッグで勝利を飾り、リング内で仲間たちに胴上げされ選手生活にピリオドを打つ。引退の理由としては、ケガや体力の衰えなど明確なものではなく、「やるべきことは全てやったし、もう後輩に教えることもない。」という漠然としたものであった。終生のライバルであった尾崎との戦績は、10勝1分け25敗。引退後も芸能の仕事は継続する。


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