遠野なぎこのヌード
遠野 なぎこ(とおの なぎこ、1979年11月22日 - )は、日本の女優。旧芸名は遠野 凪子。
血液型 O型 出生地 神奈川県川崎市
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遠野なぎこプロフィール
略歴
1991年、テレビ朝日『鳥人戦隊ジェットマン』に、本名の「青木秋美」名でゲスト出演し、デビュー。
1994年、テレビ朝日『嫁の出る幕』にレギュラー出演。この作品より「遠野凪子」を名乗る。
1995年、NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』、TBS『未成年』に出演。武満徹作曲『系図(1992) - 若い人たちのための音楽詩 -(語りとオーケストラのための) Family tree - musical verses for young people』の日本初演(岩城宏之指揮/NHK交響楽団による放送初演、および、小澤征爾指揮/サイトウ・キネン・オーケストラによる舞台初演)においてナレーターを務める。
1999年、NHK朝の連続テレビ小説『すずらん』でヒロイン・常盤萌を演じる。
2001年、映画『日本の黒い夏─冤罪』で日本映画批評家協会新人賞を受賞。
2002年、映画『海は見ていた』の遊女役で初ヌードを披露。
2005年、昼ドラマ『冬の輪舞』ヒロイン・水島しのぶ役。『真珠夫人』『牡丹と薔薇』を抜く高視聴率を得た。
2007年、昼ドラマ『麗わしき鬼』でヒロイン役。愛猫の「悠」の名前はこのときの役名・悠子から名づけられている。
2010年5月15日、芸名を「遠野なぎこ」に改名したことを公式ブログで発表。
2012年、3月いっぱいで契約満了により東宝芸能を退社し、4月よりワイルドビジョンに移籍。
2019年5月、キャストパワーに移籍。
人物
子役として幼い頃からこの仕事を続けている。幼少期から親による虐待(児童虐待)の被害を受けており、そのために言われるがままの子役を続けざるを得なかったところがある。人気子役であったことから中学校でいじめにあったときも、親の言いなりになるしか無かったため、それに耐えて仕事を続けていた[3]。しかし15、16歳の時にドラマ『未成年』の出演をきっかけに、人格崩壊(「人付き合いに対して飽きっぽくなる」「冷めた性格になる」等)が起こり、この時期が我慢の限界であったと語っている。一度は女優という職業に疑問を感じ疲労がたまり休業したが、夢の中にも自分が演技をしている姿が出てくるようになり「自分は女優しかない」と奮起、復帰したと語った。
番組の取材で、「唐辛子をサラダにかけ過ぎたり、休日は酒をほぼ1日中飲んでいる」といった偏食傾向およびアルコール依存症であることが分かり、健康被害を及ぼすとして警告を受けたことがある。実際にこれが災いし、シャンプーをした後に抜け毛が多く発生したことが判った他、番組取材で人間ドックに入った際も、「余命7年」と診断されている。
自伝本を出し過去について告白して以来、「完全ではないが以前よりは良い方向にむかっている。」とブログで語った。しかし過食嘔吐や強迫性障害については今現在も投薬治療中で、幼い時に親から「吐いたら太らないから吐け」などと異常な環境でしか生きられなかった環境による虐待にあっていたせいもあり、今も苦しめられ続けている。また幼少の頃からの劣悪な経験が原因で、成人しても様々な病に侵され、世間の偏見、差別、苦しみと戦っている。心から愛しているのは茶色いメインクーンの悠くん、黒いノルウェージャン・フォレストキャットの蓮くん。2匹は毎回、遠野のブログ写真で登場している。彼らと一緒に写っている写真だけは自分を醜いとは思わなくて済み、「モンスター」に見えないと語っており心の救いになっている。
出生名および旧芸名は「青木 秋美」。2度の結婚を経験したが、1度目の結婚生活は72日間、2度目の結婚生活はわずか55日間で、芸能人では最短である。2度目の離婚後は新しく戸籍を取得し、元夫の姓を名乗り、元夫とは「交際中」である。事実婚(戸籍名は既に元夫の名前なので夫婦別姓ではない)になるために「任意後見契約」を結ぼうとしているとしている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』