高樹沙耶の大〇女優ヌード
高樹 沙耶(たかぎ さや、1963年8月21日 - )は、日本の元女優、元作詞家、ガンジャ・アクティビティスト。本名は益戸 育江(ますど いくえ)。静岡県浜松市中区出身。
高樹沙耶プロフィール
人物・来歴
浜松開誠館高等学校を中退後、東京都立青山高等学校に編入・卒業。
高校時代に原田真二のコンサートを観て「私もたくさんの人を幸せに出来る仕事をしたい」と思ったのが芸能界を目指したきっかけ。17歳の時に上京し、オスカープロモーションに所属、モデルとして活躍。1981年に結成してデビューした「パンジー」(北原佐和子、真鍋ちえみ、三井比佐子のアイドルユニット)のメンバー候補として最後の5人まで残っていたが最終的に落選したことがある。その後、週刊プレイボーイの高樹のグラビアページを見たプロデューサーの増田久雄が「この娘を使いたい」という意思を示したことから、1983年に映画『沙耶のいる透視図』の主演女優に抜擢され、映画デビュー(公開は1986年)。映画デビューと共にオスカーを退社し、映画製作会社『プルミエ・インターナショナル』へ移籍。旧芸名の高樹沙耶の「沙耶」は本作品の役名であり、「高樹」は同作品のプロデューサーが画数を調べた上で名づけた。
1990年代初めには作詞家としてビーイング所属アーティストへの楽曲提供を行っていた。はじめてのおつかいの挿入歌「しょげないでよBaby」の作詞担当を行う。
1998年、中西圭三と結婚するが、2000年に離婚。その後ハワイに移住する。
2002年、フリーダイビング競技の日本大会で、水深45mの日本新記録(当時)を達成。同年11月にハワイで行われたフリーダイビングW杯では記録をさらに更新し、水深53mの日本新記録(当時)を打ち立てた。個人では4位、総合では2位となり銀メダルを受賞。
ハワイ島コナに在住する水中カメラマン兼ダイバーで、フリーダイビングのパーソナルコーチを務める菅原真樹と同棲・婚約をするも、2004年頃に菅原真樹が結婚する気持ちがないため、婚約を解消し活動拠点を日本へ戻す。その後、オスカープロモーションへ復帰し、芸能活動を再開した。
2008年9月26日、自身の公式ウェブサイト上で、芸名である高樹沙耶を返上、本名の「益戸育江」名義で活動すると宣言した。
2011年11月8日、千葉県から沖縄県石垣市に移住していることが『週刊女性』で報じられた。全財産をはたいて1500坪の土地を購入しコテージ「虹の豆 浮世離れ」を経営管理している。
2012年10月末にてオスカープロモーションとの契約を終了し、芸能界を引退。益戸はこれに関しては、オスカーから辞めて欲しいと言われたことを明かしていたが、スポーツ紙の後の取材で、オスカー側は益戸の方から申し出があったとコメントしている。
また、同年にはブログで「大麻草検証委員会」の幹事をつとめていることを明かし、「大麻については持続可能な暮らしをサポートする大切な天然資源の一つと以前から思っていました。(大麻は)私個人の感覚からしましては、お酒、たばこ、チョコレートよりも安心で安全で多幸感を得られる、そしてアンチエイジングには最高の植物だと信じております」と大麻保持を法的に規制することに反対する立場を明かした。以降は大麻女優と揶揄されてスタッフも離れて行き、この時から逮捕された時の事も懸念され、バッシングを受けた。
2016年5月10日、第24回参議院議員通常選挙に新党改革より東京都選挙区で出馬することを表明。名前は本名ではなく、芸名の「高樹沙耶」で出馬したが、落選。 同年10月25日、沖縄県内で大麻を隠し持っていたとして大麻取締法違反(所持)の現行犯で厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部に逮捕され、26日に那覇地方検察庁に送検された。容疑を否認していたが、同時に逮捕された男性容疑者2人のうち1人が「自分のもの」と自供し、押収量も数十グラムと多量で、また押収物に使用のためのパイプが複数含まれていると報じられた。益戸はその後那覇地裁に起訴され、2017年4月27日に懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を受けた。同日には会見を開き、大麻を使用した理由を語った。
益戸のその後は、有罪の数か月後に週刊誌が報じており、石垣島で引き続き生活しており、民泊経営を行っているとのこと。また、同年の年末には、バイキングでもその後が放送された。翌年末の同番組でもその後の姿が報じられ、大麻について語った。
2018年には、カナダでの大麻解禁を支持したことをツイートしたことで話題になった。
2019年5月に小嶺麗奈と田口淳之介が大麻取締法違反容疑で逮捕された際には、人権侵害であるとして同法やメディア報道を非難した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』