夏樹陽子のAV女優ヌード
夏樹 陽子(なつき ようこ、 1952年10月24日 - )は、日本の女優・ファッションモデル。 宝石ブランド「ルシオラ」のジュエリーデザイナーとしても活動する。 有限会社アップル・ツリー所属で、アイティ企画と業務提携している。東映俳優センターを離れた後はホリプロ・ブッキング・エージェンシーに所属していた。
夏樹陽子プロフィール
人物・来歴
三重県で生まれた後、父親の仕事の都合で小学校を三つ変わり、小学校6年生まで大阪にいて、6年生の3学期でまた三重県に引っ越して、中学校の3年生の2学期で愛知県犬山市へ引っ越す。愛知県立犬山高等学校を経て杉野女子短期大学被服科に入学。短大在学中にグラマラスな姿態をスカウトされ、ファッションモデルとなり、以降、3年半、トップモデルとして活躍した。かねてから念願だった女優転身を目指し、知人の紹介で『新・女囚さそり 701号』にカメラテスト風に出演。
1977年に映画『空手バカ一代』のヒロイン役で本格的に女優デビュー。モデルで「きれいな服をいつも着ていられる日常」から、「普通の人のように歩いて」と指導されるなどその違いに最初戸惑っていたが、ゴミの山に自分が捨てられるシーンを演じきったことで「女優としてやっていける」と自信がついた。エキゾチックな美貌を買われ、1977年4月、東映入社。この後、映画やテレビドラマに出演していくが、モデルの歩き方のくせを抜くのに2年ぐらいかかっている。
『新・女囚さそり 特殊房X』で、梶芽衣子、多岐川裕美に続く"三代目さそり"を演じ、翌1978年の松竹『カラテ大戦争』では初めて他社で主演したが、邦画総体の地盤沈下と大作一本立て興行等の影響を受け、東映プログラムピクチャーの後退もあり、映画出演は減った。東映退社は1980年2月。
東映の多角経営で、ホテルやゴルフ場のオープニングイベント等で、カラオケで歌わされていたこともあり[4]、1979年秋に、アルバム『よこはま情炎ものがたり』を出した。以降も時折、レコードを出し、ディナーショー等も行う。
特技はピアノ、エレクトーン、花柳流日舞、観世流能楽、大倉流小鼓、クレー射撃、ドライブ(国際C級ライセンス所持)など。所有車歴はポルシェ・フェラーリが有る。
三國連太郎とは30年近いつきあいで、三國に勧められて病院で大腸の検査を受けたところポリープが発見され、切除手術を受けた。検査の結果そのポリープが癌だったと判明し、早期発見で一命をとりとめた。そのため三國のことを「命の恩人」だと思っているという。
絵本の読み聞かせで、小学校やケアホームを訪問している。
2017年6月28日、日本クレー射撃協会の総会で、夏樹が初の女性理事に選ばれた。
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